右手と左手がケンカしますか?

右手と左手がケンカしますか?
 競走しますか?
 嘲笑しますか?
 妬みますか?
 搾取しますか?
 イジメしますか?
 戦争しますか?
⬆エゴ意識の人がやってるのがそれ
万物全てを1つとして見る普遍的意識になると、これがどれだけバカバカしいことなのかに気付きます
         by 桜沢 豊
@yutakasakuraza
 -------------------------------------------------
「万物全てを1つとして見る普遍的意識」とは、聞きなれないと思いますが、世界中の人類の常識を書き換えるほどの意識革命です。
今の世界人類は、自己の利得や保全を最優先する価値観である「自我意識」で生きています。
なので、世界の仕組みは「自我意識」を大前提に構築されています。
具体的に言えば「所有」の価値観。ものや自然界のものを自己所有することができるという法体系を生み出し、より多くを所有するために闘争し競合してきました。
「所有」からはじまる仕組みは、家族・家世帯の世襲をうみ、貨幣という蓄財手段での貯蓄を生み、やがて寡占的な権利の独占を生み、それらを収奪するための国家徴税システムを生み、国内で飽き足らず海外に収奪しに行き、しまいには宇宙空間の開拓なんてことを言いだす有様です。
しかし、人類はこうした「自我意識」を大前提にした時代は数千年しか経験していません。とくに近代の産業革命以降、「自我意識」はどんどん肥大し、強化されてきましたが、そもそも日本史でいう縄文時代には「自我意識」はなかったと考えられます。
ですから縄文時代には略奪闘争がなく、家族制度もなく、大集団大家族でのくらしだったとおもわれます。
なぜかというと、縄文遺跡からは武闘闘争での武器や、骨折した人骨などが出土しないため、長らく平和友好の時代が数万年継続したとおもわれます。
こうした「太古」の名残を残す文明が、マヤ族のマヤ文明です。メキシコにかつて栄えた古代文明のマヤ文明。 その挨拶が「インラケチ」In Lak'echというものです。
“インラケチ”意味は(あなたは、もう一人の私です)というものです。
栗本は若いころ、この言葉を知ってびっくりしました。マヤ文明ってめっちゃ進化してるやん、とおもいました。もちろん天文学もすごく進んでおり、まるで宇宙視点で生きているような民族がマヤ人でした。
だけど現代では、「あなたは、私と他人です」というのが支配的な常識です。現代では子供は知らない人が道を聞いてきたら「逃げろ」とおそわります。私とあなた、私と社会の境目をつくっているので、トラブルは訴訟となり、相手は競争相手か商売の客としか認識できなくなっています。
つまり現代の「自我意識」を大前提にした価値観は、人類の退化ではないかとおもいました。
 -------------------------------------------------
そうして古代日本に律令制が敷かれ、自我意識に基づき私権の私有がうまれ、同時期には仏教が大陸から輸入されました。
この大乗仏教のなかに森羅万象を表す語があります。「山川草木悉皆成仏」とか 「山川草木悉皆仏性」といわれます。さんせんそうもくしっかいぶっしょう、と読み下されます。
これは森羅万象の山川草木は悉く皆んな同じ仏性をゆうする、という哲学を言っています。これはマヤ文明のいう「インラケチ」という哲学とおなじものです。
でもいま、私たちの文明は資源を略奪し、川にダムをつくり、牛や豚を物として扱い殺生して食っています。自他を分離するがゆえに平気でできる暴虐性をもって、それをおしゃれで便利でグルメな暮らしなんだよってCMで洗脳されて、いい気で暮らしています。
だけど、それは万有と「自我意識」を分離させたからできる「夢遊病」みたいな世界観だとわたしはおもいます。わたしたちの繫栄した文明は、宇宙からしたら誤った「自我意識」によって、人類同時にやらかしちゃった文明なんです。
宇宙では自業は自得、すなわちやったことが自分に返ってきます。
個人でも自業自得ですが、人類の集団カルマもまた、人類すべてに返っていきます。
いままで安定と贅沢をむさぼってきましたが、それがそろそろ集団的に返済しなければならない時期を迎えています。
それは私たちの眼に、災害や、異常気象や、戦争や、疫病などのかたちで、まるで支配者によるグレートリセットのように見えることがあります。
宇宙を主宰する神は、わたしたちに劇的なドラマを通して、いきることの考え方と因果法則を体験させているといえるでしょう。
 -------------------------------------------------
冒頭の桜沢さんの書き込みを復習しましょう。
万物全てを1つとして見る普遍的意識になると、「自我意識」がどれだけバカバカしいことなのかに気付きます。
そうですね。「自我意識」とは幼稚園児みたいな世界観だったんですね。
それが崩壊し、なくなってしまって、やがて、万物全てを1つとして見る普遍的意識の時代が再興していきます。
この壮大な交代劇を、アセンションといい、次元上昇とか、地球開国とか、黄金千年、弥勒世など、いろんないいかたで呼ばれています。
栗本はSNSで崩壊の実況みたいなことをやっていますが、「自我意識」の終わりを見届けています。そして、崩壊を怖いものと思わず、地球劇場を観劇するかにように覚めてみています。なんなら、人類同時に地球の回転軸ががらりと転換した際に、大陸ごと海に沈んでもかまわないとおもうほどです。なぜなら人類の共同カルマとして、それに匹敵する悪事を人類ははたらいてしまったからです。
崩壊を怖いというのは、肉体を自己と同一視しているからで、この肉体は生死さえない霊魂存在がボディスーツを着ているだけなので、死さえもほんとうはこわくはないのです。
こわいのは自己を「自我意識」とおもいこんでいる誤った洗脳です。
それを克服していかねばなりません。
だから冒頭の桜沢さんの書き込みに到達します。
万物全てを1つとして見る普遍的意識になると、「自我意識」がどれだけバカバカしいことなのかに気付くんです。
それが、内的アセンションです。