中学1年男子。サッカー部。

パナマ運河、石油精製所の画像のようです

きょう2024年08月25日、まだ真夏の太陽が照る阿南市橘町中浦緑地(埋め立ての堤防)にて、わたしは魚釣りをみていた。

阿南市福井町のもんじろうで焼き鳥を買い、昼前の小腹がすいたあたりにほおばりながら、焼ける堤防から海を見ていた。風は少しだけ秋を感じさせたが、にじむ汗は額を伝った。

そこに自転車で少年が現れた。
「釣りですか」と彼は私に声をかけた。
わたしは自動車から降り、立ったままで焼き鳥を食っていたから、話しかけやすかったんだろう。

彼とは中学の在数の話から立ち話を始めた。彼の中学では生徒数の減少でサッカーや野球の練習がままならず、別の学校と合同練習をしているとのこと。その際の送迎は先生の自動車であるらしかった。

人口の減少は、これから地域を担う少年少女にとって、最大の課題である。
わたしは彼のように次代を背負う人に、「現状の認識」と「推移の分析予測」と「対策の着手」をしてほしいと思って居る。なので、彼が社会に対して関心のある少年だと見破るや否や、突っ込んだ話をしていった。

これは8月25日に交わした実話である。

まずわたしは近代社会というものの認定について彼に話した。
この我々が居る時代は近代の末期であり、明治時代から現代まで150年間のスパンを言う。ざっと200年と思ってもいい。

この200年のあいだ、我々は三つのキーワードで生き方を規定された。「近代・科学・文明」である。まず近代とはここ200年の常識を言う。次に科学とは石油と電気である。石油はケミカルで石油利用の服やプラスチック、石油エネルギーを使ってきた。電気に至っては原子力発電で、巨大なやかんでタービンを回して発電する裏側でウラン加工の原子核兵器をつくって利益化してきた。電気はパソコンを動かし情報支配をしてきた。テレビなどマス支配も電気の恩恵である。

きみに告げる。この「近代・科学・文明」が今後も永続するかどうか?どうおもうか?

彼は、彼なりの言葉で言いよどみ、まさにこの閉塞的で、終末・枯れ木になりそうな地域社会で、疑問を持って生きてきたようだった。

彼は明確な文明観はまだ持っていないが、この社会が奈落に向かっていることを感じているようだった。

彼は「ぼくはスマホを持っていない」といった。いま、中学生なら全員が持っているイメージだったが、彼は自分の視点から社会を捉えたそうだった。それゆえ流行にのらなくてもいいと考えているようだった。むしろ、スマホの流行やチャットGPTなどのAIブームを、危険だと言っていた。

それは珍しい。彼のような若者がテクノロジー礼賛でなく、クールにみていることをわたしは骨があるかもなと思った。

さて、「近代・科学・文明」による支配は終戦後の三種の神器による経済成長や人口増加を生み出し、四国の東端である阿南市にも人口増加の恩恵をもたらせたが、いまや、それはアメリカによる植民地支配の残骸として、いまだに日本人を支配管理する名目として機能しているようだ。

彼には「日本という国家は終戦後、アメリカGHQ・CIAによる植民地支配を受け、いまだに日本は独立主権国家ではなく植民地・属国に過ぎない」と伝えた。

初対面で日曜の昼前に堤防にて出会ったおっさんと中学生が語り合う内容ではないことは明らかだが、妙に会話は弾んでいった。

彼は、日本の近代の特質をつかんでいたし、現代から未来への危機感ももっているようだった。

わたしはそれゆえに、「君のような若者にこれからの社会をリードしていってほしい」と伝えた。そのためには状況分析(共有)と、打開策のヒントが必要になるだろう。

そこで、状況分析ではことに金融資本の意志における消費社会の在り方を共有してみた。いま、わたしはセブンというスーパーに買い物に行きたいし、その横にはハローズというスーパーがある。だが、イスラエルの戦闘激化でホルムズ海峡が封鎖されたら、輸入物資は入らず、石油も止まり、スーパーも閉鎖だと伝えた。

ではどうするか。

わたしは、阿南市新野のはたえだ朝市でやっている生産者と消費者を直売でつなぐ「市」のことをつたえた。はたえだ朝市はコメ粒ほどの規模でやっている生産直売だが、仮に銀行が閉鎖されても、大規模量販店が閉鎖になっても、この原始的で小規模な市は持続可能だとつたえた。じっさいわたしも朝市の機能は画期的だと思っているし、資本主義社会の反体制革命児として27年間「愛のある市」をやってきた自負がある。

じっさい、資本の力学で小規模商店はすべて壊滅し、スーパーと百均だけが残った。だがそれもしょせんは「近代・科学・文明」の残り香であって、今回の社会建て替えにおいては、それすらも壊滅閉鎖されるんだ。

だから君のように中学生でこれから先、地域社会をになっていく人には、わたしは本当の時代推移を伝えたいんだ。学校も先生も教科書もうそばっかりで、実際のことを伝えない。それでいいのか????

去る7月に阿南市新野東小学校で七夕飾りをつくった。朝市のメンバーが社会教育の一環で毎年やっている事業だが今年もやったのだ。その短冊にすごい夢が書いてあった。

「受験に合格しますように」

これが三枚も4枚もあった。13人の全校児童で、しかも高学年であるとするなら全員が受験の勢いだ。

しかもこれは過疎地新野の、超過疎小学校での受験リアリティだが、阿南市では受験というと一校だけ、そうだ、富岡東中学高校の一貫校に行かすわけだ。

そして中高一貫で抜群の成績があり、富岡東高校は富岡西を圧倒的に出し抜いて、京大阪大東大まで合格圏という、超エリート学校なのである。

であるから、過疎地阿南市新野でも、進学学歴信仰は強烈なのである。

だが、まて。

これでいいのか?

わたしはそれを中学生男子に問うた。きみはこれでいいのか?そしてジブリは言う「君たちはどう生きるか」

これが今日の私の会話のテーマである。
「君はどう生きるか」である。

まさか受験エリートがいいわけがないだろう。なぜなら、受験、偏差値、高学歴、公務員や大企業という成功の図式は、いいか、もうすでに破壊されているんだぜ?

きみの先生や親は、高学歴、公務員や大企業という人生を求めるだろうが、いいか、もう地方社会は支える人材が居ないんだ。徳島県はすべておなじだ。きみが大人になったとき、この嘘だらけのエゴ社会は崩壊してるんだぜ。どうするんだ?きみは?

彼は口をつぐんだ。

彼の誠実さはそこにあった。

彼は、適当に逃げなかった。わからないということを全身で訴えた。

だから私は、ヒントを出した。



結論を言うが、「フリーエネルギー」と「サイキック」のふたつを突破口として提示した。いっとくが私は先生ではない。ゆえに文科省に拘束されない。また阿南市からまったく公的役職は受けていない。ゆえに行政圧力とは無縁である。

そのわたしが、既存の圧力を打破して、青少年に伝えたいのは「フリーエネルギー」と「サイキック」である。

まず、「フリーエネルギー」はニコラ・テスラが実用化し理論化したが、金融寡頭勢力が横取りし封印した。いまや「フリーエネルギー」の特許はロスチャイルドロックフェラーなどの魔物どもが独占し、隠れて支配している。だがこの「フリーエネルギー」は人類を石油や電気から解放し、まったくすばらしい環境調和の社会構築に役立てられる。それを実現するのがきみたちである。

次に「サイキック」であるが、きみは弘法大師空海のことをしっているか?彼は香川県の満濃池という巨大なため池を一晩で造成したが、その逸話をどうとらえるか?

1 逸話は大げさ:だったら空海信仰は地に落ちて霧消
2 逸話は事実
なら人海作戦や予算工面などどうやったのかわからない
3 逸話はサイキック
空海はサイキックで土木工事を実現したならば四国88か所や全国の空海伝説の同時期多発の偉業実現の根拠が成立するつまり 空海はサイキッカーで、その能力は人間の高次元覚醒とともにあると

であるなら、このドル崩壊とブリックスによる政界金融体制の移行は、西側社会の大崩壊(日本は壊滅)であるが、そこから新しい可能性の萌芽があるとおもわないか?

崩壊と再生はオーバーラップし、枯れ葉は散るが、枯れ葉の落ちた根元には新芽があるのを知っているか?いま、きみは新芽を見出し育成する、そのお役があるのだ。わかるか?

わたしはそう語った。

彼は、朴訥ではあるが、輝かしい目をして私の話を聞いていた。彼のような若者に、「フリーエネルギー」と「サイキック」を使いこなしてほしいと私は思った。

そして、ではなぜいま、我々には「フリーエネルギー」と「サイキック」が封印されているのかわかるか?と彼に聞いてみた。

彼は、「みんなが使えたら邪悪な者も使ってしまうから」と言った。

わたしは仰天した。

まさにそこだ。

われわれの人類世代はすべて、エゴイズムに感染しており、「フリーエネルギー」と「サイキック」という宝物をエゴで悪用してしまうということを神は知っていたのだ。

だから、今回の崩壊劇は人間のエゴイズムを徹底的に破壊するだろう。ただし、エゴイズムでさえ、反面教師として我々の覚醒とみたまみがきに寄与してきた。多大な寄与があった。それをおぎなってもまだ弊害が大きいのがエゴイズムであり、戦争や詐欺や悪事のすべてはエゴイズムの暴走こそが根っこである。

したがってエゴイズムを見破りコントロールできる人類にしか「フリーエネルギー」と「サイキック」は降臨しない。

われわれはエゴイズムが培養した「近代・科学・文明」による支配を抜けつつある。

その先にはエゴイズムを脱却した新人類による「フリーエネルギー」と「サイキック」の有効利用が広がっている。

ここで、みなさんにはよく考えていただきたい。

このような立ち話を2024年8月25日に、橘の堤防でおっさんと少年が交わした。これでさえダイジェストであり、実際はもっと濃密であった。こういう会話が成立する地球三次元をかんがえてほしい。地球は確実に変わりつつあるとおもわないか?どっかの作家や映画の話じゃないリアリティなんだ。まったくほんとのはなしなんだ。

くりもとはもう隠さない。わたしの使命、わたしの役割は地球の移行を応援し、それを人類地域社会につなげるお役であることを・・・。

わたしは海を後にして、たまり場に向かった。

中学生の彼をたまり場に案内し、そこには「仲間」がいるということを知ってほしかったのだ。

地球の移行はたくさんの なかま があつまって、地域社会で、淡々と粛々とおこなわれていくだろう。

わたしたちは、そうだ・・・、光の子なんだ。