男子厨房に入る。

63で厨房やるとは思わなかった。
母が逝って、『「ワタミの宅食」を頼んだら?』なんて話が出た。
しかし、冷蔵庫にも在庫があるし、だいいち畑には冬の食材が放置されている。
とりあえず、家族が大阪に帰った翌日からは、87男性と63男性の男二人暮らしが始まった。
基本は3度の食と洗濯だ。
あとは故人の残務整理だ。
まずは故人のお供え物だ。
四十九日間はかかせない。
5品をまいにちはできないので、ごはんお茶お水お線香ろうそくは毎日朝晩上げて、みそしるはできたとき、5品はフリーズドライでお供え。家内が何度かの帰宅時は炊いて貰って供えるとする。
つぎに老人食だ。
父は猛然と食う。
体躯は糖尿のせいで細いが食い意地がすごいのだ。
わたしの二倍は食う。わたしは朝は抜いている。軽い。
なので、汁物煮物が欠かせない。
だしはほんだしなので手抜きだが、やってみたらまあ、野菜の煮物もお味噌汁もいける。
ふゆはおでんも作り置ける。シチューもカレーも、一旦作って三度あたためなおして出す。
あとは気が向いたら漬物皿におこんことか、なますなどを盛る。
鶏肉やソーセージを炒めてたまごでとじたりして、いちおう蛋白源もとる。
刺身は身の大きいのをおばさんがくれるので、都度、スライスして出すから鮮度があってうまい。
けっきょく、わたしはこれまでサボっていきてきたが、63にして、毎食の「修養」を課せられたということになる。
最初は段取りが悪かったが、ここにきてだんだん手際よくなってきた。
スーパーマーケットでも、食材をうろうろ見渡し「買いたいがこの量は食いきれんな」などと思うし、そうざいのパックは買わないでいる。いわゆる出来合いおかずだ。
そうではなく、やはり母がやったような汁物煮物をメインに考えるので、畑の野菜や、はたえだ朝市で買い入れるチクワやしいたけなどが具になる。
まあ、自己中では老人食はできないなとおもう。
私が食うだけなら永谷園のお茶づけでもいいが、さすがに87にもなる耄碌した男性には、酷だろうから、母を思い出して具を入れている。
それが奏功したかどうか彼は「うまいうまい」と言って食っている。しかも火を通したばかりだから温いと言って食っている。
わたしの老後のイメージは高齢化した後は、鴨長明みたいに、いおりをむすぶ暮らしだ。
しかし、いきなりそういうマイペース型の生活ではなく、三食修養の暮らしが課された。
それもまた、神のカリキュラムなんだろう・・・。