猛烈な縮小社会

大変な事態になってきた。トヨタの新車「ランクル300」&「レクサスLX、NX」が、販売停止。
背景には半導体不足や原材料の流通不安定化がある。
「ランクル300」は800万円だがすでに希少価値となった中古車市場が高騰して1800万円~3000万円。
それもこれも流通が正常化すれば徐々に回復に向かう…と信じたいが、もはやウクライナ戦争に端を発する原材料の流通不安定化は、とどまることを知らない。
われわれの社会はどこへ向かうのか。

 

去年の数ヵ月で半導体の世界で起こったことはこんな感じです。
1) 半導体の旭化成の工場で火災事故 品不足
2) 日本の半導体メーカー・ルネサスで代替生産
3)ルネサスの工場で火災事故 生産停止
4)台湾TSMCで代替生産
5)TSMCの工場で火災事故←New! 生産停止!
という訳で、半導体供給ができない事態へ。
ちなみに2022年は食品工場も燃えに燃えてアメリカなど100か所レベルで操業停止。
ここからわかるのは半導体も食糧も故意に供給停止圧力が働いているようです。
それと、台湾の半導体工場を中国が侵攻して所有しようとしていますが、
驚くべき防御体制として半導体工場に自爆装置が仕込んであるとの機密情報があります。
もしそうなれば、世界の半導体が停止しますから、
コンピュータ文明が更新されないまま停滞し、
文明開化ならぬ文明落花となりますね。

 

世界シェア80%を独占している3Mが、半導体の基幹原料を生産停止。 
2022年3月8日に米3Mのベルギー工場が、半導体の基幹原料であるフッ素系不活性液体(登録商標フロリナート)の生産を停止した。
半導体のドライエッチング装置の温度制御に必要不可欠な冷媒であり、3Mはこの分野で世界シェア80%を独占している。そしてもしその供給が止まったら、世界中の工場で稼働しているドライエッチング装置が動かなくなってしまう、つまり半導体の生産ができなくなる。
文明をリセットすべく、目には見えない影の大きな力が働いている。国際経済小説・落合氏に書いてほしい同時進行のドラマ。これは激しく大きな経済津波です。

 

いままで世界の消費文明は有り余るほどの資源でモノを生産消費してきた。
文明とは豊かさとは、そういう物質の潤沢さだった。
しかし、ここにきて、ウクライナ侵攻以来、完全に潮目が逆転した。振り子ぶらんこでいえば、おおきく逆転しだした。決定的な物資不足へと舵が切られた。
世界支配者たちは「振り子の原理」を使用すると思うが、もしそうだとしたら、半導体工場の連続火災、食品工場の連続火災、スエズ運河の座礁でタンカー停止、ウクライナ戦争でのロシアガス禁輸など、ありとあらゆる供給停止圧力は、まさに「振り子の原理」を体現している。

 

「振り子の原理」
もし、「振り子の原理」がこれからの時代のすう勢となり、物不足の社会が進行していくなら、社会はどうなるか?経済ビジネスやサービス、雇用はどう変わるか。
文脈は異なるが、何度も私が引用する「グレートリセット世界」そのものが、今後不可避となる。
トヨタのランクルでさえ販売停止し販売機会と利益機会を失った。営業マンは仕事がなくなった。自動車販売というサービスが消えたわけだ。こうした機会消失がどんどん起きてゆく。
したがってドイツ経済におけるドイツ銀行でも収益機会の損失が起きるから株価が最低価格へと下落し、倒産危機が迫っている。これらは国際的に共通しており、我々日本の四国の過疎地に生きていてもおなじように危機意識を喚起させられる。
ドイツ銀行分析レポートとは文脈は異なるが、ランクルの販売停止という現象をドミノ倒しで見ていっても、帰結はドイツ銀行倒産の顛末と同じ結論になる。
われわれは豊かな消費文明の反作用で物資不足・貨幣無価値化の中を生きていくことになる。そのために何を考え、何を備え、何を実行すべきか。重要なテーマである。

 

ひとことでいえば、「猛烈な縮小社会」である。
戦後国際社会が、毎年のように拡大社会を経験した逆のことが、猛烈な勢いで襲い掛かってくる。だから、国家や政治体制は「猛烈な縮小社会」に対応した制度設計を行っておく必要がある。
例えば無用な屋上屋は不要で、参議院なんかいらない。府県と市部の重複行政もいらない。統廃合は待ったなしで、阿南市が進めた事業仕分けなんてレベルじゃなく、行政機構そのものを解体再編し、統廃合しなければならなくなる。
しかし、今こういうことを言っても誰も理解できない。なぜなら、既存社会が延命しているから、その先の「猛烈な縮小社会」が見えていないからだ。なので、自己生活圏内でコンパクトな生活実験でもやっていこう、というふうになる。断捨離や、行動範囲の縮小、消費の縮小などだ。やがていやがおうでもやらざるを得ないわけだが。先んじてやっていれば打撃も少ないだろう。そしてささやかなことに喜びを発見する感性を育成していこう。世界金融経済がどうなっても、喜びをもって生きることができれば、それは勝ち組といえるのではないだろうか。