主として、消費生活を最小化しつつ、農作物を栽培。
天職のミュージシャン活動は自宅スタジオで行なっている。
レゲエ音楽に触発されて、“道”に開眼した。
17歳、工業高校中退後、水商売を振り出しに各種職業を経験。
インド旅行時に国際空港でみた両手両足がない物乞い。
不自由なカラダで、台車に座って移動し、カップの把っ手を口でくわえて、
俺にカネを恵んでくれととてつもない目ヂカラでアピール。
衝撃を受けた。
そのような障害状態になったとき、
「俺は絶望を乗り越えて生きる気力を奮い立たせられるだろうか?」。
生きるとはなんなのか?
“道”の追求がはじまった。
はたらくということは、なんのために?
お金というものは、どのように流れてくるのか?
しあわせというものは、どうやって手に入れるのか?
若い頃はさんざんヤンチャをしてきた。
添加物なども摂取していただろう。
安全で、清らかなカラダになって子供を授かりたい。
25で決意して肉食を一切絶って、29で第一子。
3男に恵まれた。
2001年、大阪葛城山でZIONYARDの前身となるZIONGATEを開始。
農耕はぜず、2年間集団で泊り込み建築、
3年目に野外イベントスペースとして大成功を納める。
その後、トラッカーとなり資金を貯める。
しかし、会社の搾取が激しくなかなか目的額に達しない。
それならばと、見切りで個人自治国をめざしZIONYARD候補地を探した。
いい第一候補地が見つかった。
満を持してトラッカーを退職して備えていたら、
なんと一方的に貸主にキャンセルされ、
極度の人間不信に。
鬱状態になり、絶望のあまり3度自殺を考えた。
振出しに戻り、
ただ音が出せる土地さえあれば、と土地を探した。
そんな曲折を経て現、ZIONYARD地にめぐりあえた。
ひたむきに地道にやっていれば神様は背中を押してくれる、とおもった。
契約をしたら、家が付属してついてきた。
それを自力で修復した。
親父さんが、最初の引っ越しを手伝ってくれた。
2回目の来訪はスピーカーを運んでくれたとき。
きょうは、親父さん3回目の訪問になる。
最初荒れたボロ屋だったが、
いまはレゲエ音楽工房のようになっている。
朽ちた柱に介添えの柱を素人工作しているのをみて、目を細めた。
親父さんはずっとずっと反対してきた。
『おまえなそんなことできるわけない』
『あまいことゆうな』
『はたらかんとくうていけれん。こどももおるやろ』
きょうは、らすふとっちゃんがZIONYARDの畑に
親父さんを案内した。
『トマトなんかこーんなちいさい。まだまだや』
ミニトマトをみてダメ出しをした。
『一人前になるのに5年はかかるで』
まだ、理解はされていないようだ。
らすふとっちゃんは幼なじみの女友達と再会して、
いまでは家族ぐるみで交流している。
その女友達の子供が女ばかり4人。
時に子供友達もつれてくる。
らすふとっちゃんの3男がこちらで生活しているから
夏休みは子供でにぎやかである。
子供達が川の飛び込みであそぶ。
自然の美しさ素晴らしさを肌で感じながら、
らすふとっちゃんと無農薬自然栽培の野菜をたべる。
そういうなかで、
環境のたいせつさをカラダでおぼえていく。
子供達によい世界を体験してもらう。
そして価値観をもってもらう。
そうすることで次の世代を変える役に立ちたいという。
高野山への旧街道。
暮らしているのは高齢者ばかりだ。
となりのばあさんは子供が老人ホームに入れたため
屋敷は無人となっている。
そんな空家がとても多い。
正面の空家。
売価250万円。
賃貸なら月2万円。
非常にキレイで手直し不要。
売り物件は100万円からある。
放置された別荘などだ。
らすふとっちゃんは空家のストックを数件あずかっている。
バイブレーションが近いひとに
近接居住してもらうと村の発展にもつながる。
らすふとっちゃんいわく「畑に逆賽銭箱おいとこか」。
なんやそれ?
「畑に100万円ぐらい置いてあって、
みんな要るだけもっていけやという逆賽銭箱や」。
これは冗談だが、
彼はZIONYARDを、施しをして上げられる場所にしたいという。
くいものとか、ねるとことか。
この集落にも
寄ってこいとはいわないが、
縁があれば機会がくるだろう。
彼の直感や野性味・・・
若い頃にインド、ジャマイカなど貧民街で寝泊まりして、
素のままで交流したことが肥やしになっているのだろう。