現実界での経験を神界に生かす

現実界に対して、人は会社経営や政治やNPO活動などによって、影響力を行使して、成果を誇りたいと思っている。また、ささやかでも動物愛護や、草花飼育などで心穏やかに現実界を癒したいと思う人もいる。芸術で感性から響き合うことを志向する人もいる。

そうはいっても、現実界と神界を一気通貫して考える人はまったく見たことがない。

そこで、現実界と神界を組み合わせる仮説を述べてみたいと思う。


以下は霊界の記述。神界にも通じる描写があるので引用する。

 

violet
@SilverBirch_Ci
シルバーバーチ

地上のいかなる天才画家といえども、
霊の世界の美しさの一端たりとも地上の絵具では表現できないでしょう。

いかなる音楽の天才といえども、
天上の音楽の旋律のひと節たりとも表現できないでしょう。

いかなる名文家といえども、
天上の美を地上の言語で綴ることは出来ないでしょう。

そのうちあなたがたもこちらの世界へ来られます。

そしてその素晴しさに驚嘆されるでしょう。

あなたがたは造化の美を見て”何と素晴らしいこと!”と感嘆します。

が、その美しさも、霊の世界の美しさに比べれば至ってお粗末な、色あせた摸作ていどでしかありません。

地上の誰一人見たことのないような花があり色彩があります。

その他小鳥もおれば、
植物もあり、小川もあり、山もありますが、

どれ一つとっても、地上のそれとは比較にならないほどきれいです。

そのうちあなたがたもその美しさをじっくりと味わえる日が来ます。

その時あなたはいわゆる
幽霊となっているわけですが、その幽霊になった時こそ真の意味で生きているのです。

来てみると、一度来たことがあるのを思い出します。

肉体の束縛から解放されると、
睡眠中に垣間見ていたものを全意識を持って見ることが出来ます。

その時すべての記憶がよみがえります

(四)134⑦~135⑩


神の仕事とは

神界、その素晴らしき霊的世界にあって神はさらなる低位霊魂の救済を志す。神界、その充足と感嘆の世界にあって、神はさらなる低位に降りて、低位人類霊魂の向上を志す。神界、その霊的な美と調和の完成をもってしても、神は低位霊魂の不調和が放置できず、さらに下層へ手を差し伸べる。その勇気ある姿が全神様を打ちのめす。

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神の世界もまた面倒のような大変のような
なんかしばらくは ぼけ~~として宇宙に浮いていたい気分です(カマタ)
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(笑)・・・無重力、、、霊界テラピーだね、、、。

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神界では強制はなく成果を課されることもない。望むなら、素晴らしき霊的世界に酔いしれることもできる、三次元肉体生活でメンタルが傷ついた霊魂は、神界で何万年でも何億年でも霊界の美を堪能できる。そして心を癒せばよい。だが、低位地球で明らかになったように、宇宙には多次元にわたる矛盾と搾取と邪霊悪心の企みがあり、それを見破る神は、神界にとどまることなく低位惑星に赴きどんどん救済に向かう。神が神であるために。神は神をただひたすらに生きる。
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人には人の地上肉体存在として学んだ経験が積み重なっている。それは個体に属する個的経験ではなく、神界の共有バンクにて神たちに共有し合うことができる。私たちは死後もその経験責任をもって役立てるという使命を認識することもできる。強制ではないが、そういった神には神としての使命があるととらえられる。また、どういうきっかけで存在するのかは私にはわからないが、高次元にも悪があり、悪にも悪の存在理由と目的があり、それゆえそれを許されて存在しつづける。そういった存在を認識し、そこから何かを弁別していくことが必要であるようだ。私たちは神上がっても、新しい使命が待っている。また、永遠に続く道程が待っている。
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もっともっと低位エリアには、低位の霊が集合している。恨んで自死、失意で自死、絶望で自死、あてつけで自死、おびただしい自死の霊がうごめき、自死霊界を形成している。この霊魂の救済は神と言えども第三者が救済できるわけではない。仏界では地蔵菩薩、不動明王などは進んで下位に降りていき、自死霊魂を救済するときく。気づきのビジョンを示したり、気づきの説話を見せたりしながら、とんでもない時間と労力を費やしているのだろうか。それでも自死は増え続ける。神仏の仕事は完結がない。


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この不成仏霊たちも 不安や恐怖などがなければ救済できると思うのですが
結局その悲しみや恐怖が死後増幅して他の霊たちと合体
悪霊や妖怪化してしまう
ではそもそもなぜこんな地球の構造を創ってしまったのか?
これは神のミスではないのかと思う次第です(カマタ)
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永遠に終わりのない負のループ。底なしの低位多次元構造。それがどんな構造でどんな可能性があるのか、また可能性がないのか、悪、悪魔、邪神というものの定義と認識につき、まともに扱われたことがない。私はそれを知らないです。しかし、神についての創造と権限を考えるなら、当然、神による創造と是認の中にある、悪魔や地獄的な光のない世界の定義をしなければなりません。現時点でそれが無理でも、死後世界ではこれを扱うべき。
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一見して神のバグに見える悪魔領域ですが、この成り立ちと存在意義を追求することは、すなわち魔界からの霊魂救済を実行することと同じ意味を持つ。可能性があるとすればですが。症状を知り、そこで対処薬ができる。だがこの課程は神様の世界でもベテラン級の神様の課程である。通常の神でも知らない領域なのである。
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そこで神の中でも資格が問われる。意識や追求の心構えを問われるのだ。わたしは断言するが現世で肉体の時点で、このテーマを扱った人間は私は知らない。ゆえにこのような仮説に対して意識があるだけで神界でもベテランの霊魂だと思う。カマタさん、仕事はいっぱいまってますよ。

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自分はしばらく逃げようと思っています(カマタ)
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凄い話をするけれど、神界に神上がっても誰も神界の秘儀を教えてはくれない。悪心や悪魔の成り立ちや必要性はそれを教える授業があるわけではない。ではどうするか。自分で上位神に聞いたり調べたりするしかない。天国、その神界でさえ、自主自立性が神の要件なのである。だから神はみずから欲せば下層化して悪魔になることもできる。
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ここでわかるのは神界参入は、主宰神がきめるが、神界において神が神であるためには自覚しか資格要件がないのだ。この圧倒的な掟は、自主存在としての責任の大きさを象徴し、かつ、悪魔堕落での権限の大きさも象徴している。ここにおいてわかるのは、神界での誘惑もまた人間界をしのぐ。すごい世界なのだ。

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神界も面倒な場所のような気がして
堕天使たちの気持ちもわかるような気がします(カマタ)
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神の世界の流儀は神の世界の経験やキャリアがないとわかりません。だから、人間界にいても、神界の上位層の霊魂は人間に混じってあらかじめそれとなく教えるような仕組みです。本やネットで偶然接する内容も仕組まれている場合があります。関心を高めておくと引っかかってきますね。神の流儀は面倒というか、人間界と異なる故、流儀を流儀として受け止める期間が必要です。ゆっくりじっくりなじめばよいとおもいますよ。
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堕天使悪魔(DSたち)の気持ちは手に取るようにわかります。エゴイズムだから。私は人間界はエゴイズムを学ぶ最高の場所だと思う。ただエゴに没入して一体化したら、悪魔そのもので抜けられない。我々はそこを切り離す。それは神界への参入資格かもしれません。悪魔の気持ちを理解する神を、悪魔はどう思うかな?
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我々は人間界の悪を嫌だなと思うが、まずは悪魔どもの心理を追体験することが現実界での重要な教程です。悪魔を説得させるには悪魔の言い分を知り尽くすことだ。それには自分の心の弱さ、迷い、ずるいエゴイズム、そういったものを目をつぶらずに受け止めることが必要です。そうしてみるとエゴイズムの塊ともいえるビルゲイツやシュワブが赤子の駄々のようなものだと理解することもできる。エゴイズムのしつけはママの育児のようなものです。
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それは次元上昇後の世界でちんたらやるのかというと、どうもそうではない。今でも私はサイキック戦争だとおもっていて、われわれ民草の覚醒、気づきこそがゲイツやシュワブへの覚醒戦だとおもわれる。我々は覚醒することで、アセンションに参加している。我々はそのために地球肉体を授かった宇宙の子だ。

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そうなんですよね
それを考えると この世が終わっても休まる暇もないのかと憂鬱にもなる
くりえいとさんが現在の地球担当の神に成ったら
地球人の愚かさに呆れてぶちきれませんかね
自分ならそうなりそうです
もう毎日大地震と津波の嵐・・・(カマタ)
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いいんです百万年でも霊的美世界(天国)で休憩が許され、多数の同様の霊魂と共有がありますので、癒しと受容がすごいはずです。そこからサボってもいいし、適当な神になってもいい。三次元惑星担当はよほどの神しかできない難行だとおもいます。なぜなら神がやられるからね。難関です。
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地球状態と同じ三次元惑星担当になれば・・・さすがにあきれ返るでしょうね。もうみるのもかかわるのも食傷だなとおもいますが、しかし、それでも見守り諭していくような愛が神なんでしょうね。まあ、きついお灸をすえたりもする愛も、神の愛なんでしょうね。見放さないという・・・。
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話は飛ぶが、薔薇の気持ちってあるんですね。我が家に父が植えた薔薇の鉢植えが放置状態だった。この夏、土を変えたり、焼き物に入れたりして剪定し、肥料と水をあげた。それから朝夕ずっと水を与えていたら、なんと、花がどんどん咲くようになった。薔薇は世話をされてることを理解し、花で応えているんですね。

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薔薇でさえ世話したら応える。ということはもっと高度な霊において、それができないわけはないとおもったり。