死を、生きろ。

頃陳さわぎで、死ぬ人がでている。

ふり返れば、311津波・放射能で死ぬ人もいた。

次に来る食糧危機では餓死する人もでる。

いよいよ本土侵略戦争でも巻き添え死は必至だ。

こうまで身近になった---死。

しかし、だれも死をまともに語ろうとしない。

いま、死をさけては生きられない。

大事なことをここに書きます。 私が30代初めに、奈良大倭紫陽花邑に行き 矢追日聖さんにお会いして 様々なお話を聞きましたが、 私達が現世と呼んでいるこの世での経験、意識が そのまま来世へと引き継がれるそうです。 だから少しでも善き方向へ。 最後の息を引き取る時の意識が大切(※1)です。

 

別の表現をとれば、 私達の人生は、それぞれの魂が行く場所を作る時間でもあるのです。 意識だけになったら、同じ波動の意識だけの世界です。 違う波動だったら、どんなに仲の良い夫婦でも 別の場所に行くのです。 何故今この地球に肉体を得たのか。 それは学んで少しでも意識の波動を上げるためです。

 

皆、それぞれの学びの速度や、理解が違うので 早く波動が上がって、超感覚を得たとしても まだそのようになっていない人間より上という事ではありません。少し前までは、そのようになると宗教団体を作って教祖様におさまる方もいらっしゃいましたが。

 

それぞれの人生の中で、毒親もいれば 不愉快な兄弟姉妹もいた事でしょう。 親友だと思っていた方より裏切られたり 罠に嵌められたり… 確かに相手の悪い部分はあるのですが 全て自分の人生のマイナス面を 外側のせいにしては 自分の成長がありません。

 

自分は悪い事をしてこなかった・・・ 本当にそうでしょうか。 自己の内面を覗いて 自分の心の棘を抜く作業をなさってください。 私は聖人君子ではありません。 私もまた、人生の中で どれだけの人を傷つけて来たか・・・

 

大沼は、私が何も言わずとも 自分で過去のお掃除をしていました。 時々「申し訳なかった・・・」と つぶやいていました。 それがどんな事なのか、私は聞きませんでした。 大沼が、自分の内側でおさめていけば良いからです。 あのような体の離れ方をしましたが、 自分の信念を護ったのだと思います。

顕幽不二

顕幽不二というのは 見える世界・顕 見えない世界・幽 が一続きといういみ 

転じて生死は我々が思うような断絶はなく 意識は生き通し 

だから意識の浄化が大事っていうこと 

大倭紫陽花邑で言われているが、霊魂の存在性からしてこれが真理ということをそれとなく伝えている

前夫(大沼)が亡くなった時に、生前、車で仙台から四国の実家に帰りたいと申しておりました。

分骨したお骨を持って、子ども達と車で出発。

仙台~東京~甲府~神戸~淡路島を通って、今治の料金所に着いた時、

車のCDデッキから聴こえた歌は、

小田和正の「マイホームタウン」…僕の生まれた町♪…

皆で泣きました


真実は嫌われるんだね

311のとき、放射能のことをしゃべると露骨に嫌われた。

頃陳のときも、害毒や人口削減のことをしゃべると逆に切れられてしまった。

前職では新聞記事を書いたりしたが、会社の文化や理論性に反することは、真実であっても攻撃対象だった。

 

いままで、アセンション実践俱楽部は「事実の向こう側の真実」を見極めていきたいとおもって書いてきた。

大沼さんの最初の投稿で  最後の息を引き取るときの意識のたいせつさ(※1) が有るが

人は死の時だけ殊勝に成る訳には行かない

むしろ素の内面が出て醜く酷くなる人が殆どです

つまり平素から浄化優しさ愛などを当たり前にする事が 死を生きれます

 

私はそのためには、

ひとりひとりが市民ジャーナリストに成るくらい事実の向こうの真実を見つめることが大事だと思います

大沼さんのように!

なぜなら 愛は神は真実は 同じだからです

ひとは、放射能の真実が知りたいんじゃなく、快適便利に暮らしたいだけ。

ひとは、遺伝子や残留農薬の真実が知りたいんじゃなく、おいしくグルメに暮らしたいだけ。

ひとは、頃陳の真実が知りたいんじゃなく、他人様の目線を気にして、善良そうに暮らしたいだけ。

ひとは、どう生きたらいいのかじゃなく、どうやって暮らし向きをよくするかだけ。

だから、ひとにとっては、愛は、暮らし向きのいい配偶者で、ききわけのいい子供。

神は、利益祈願やすがる先。

真実なんて、見えないか興味ないかどうでもいいのです。

愛は神は真実は 同じなんて言ったりすれば「アタオカ」「KY」「勝手にすれば」。

もはや、大衆というものは経験のステージもレイヤーもなにもかも別世界・・・。

Garnet@Garnet70719812
魂の学びの旅は 皆さまざま
コロ&ワク フェイクの嵐 分かる人にはネタ切れ寸前だけど
気づかない人には全く気づかない
でも それもまたその人たちに とっては大切な学び
ただ段階が違うだけなんだよね
いつか深い眠りから覚めるよう
私は祈り続けます

顕幽不二という真理をもいちどリフレインさせてくれ。 

見える世界・顕 見えない世界・幽 が一続きだ。

転じて生死は我々が思うような断絶はなく 意識は生き通し。 

だからいま、意識の浄化が大事っていうこと。

 

人は死の瞬間だけ殊勝に成る訳には行かない。

むしろ死期が迫れば、素の内面が出て醜く酷くなる人が殆どです。

つまり平素から 浄化 優しさ 愛 などを当たり前にする事が 死を生きれます。

 

死を、生きよう。