ずいぶん本サイトの更新を怠っていました。さぼってすいません。
毎日訪問してくださる方には感謝します。
ただ、ネット界でもアセンションという概念が、今という緊迫した時代にふさわしくないのか、枠ちゅんほど頻繁にアセンションが語られることはありません。(笑)
そりゃそうだ。
アセンションも陰謀論もいっしょくたの世界ですからね。
そうそう分かっておられる方は多くはないでしょう。
たとえば、情報通の「日本や宇宙や世界」さんのサイトを例にしますと、内容はあんなもんでみんな満足なんかな ?
わたしは、なんか、なにか足りないって感じていました。
それは、いってみれば「内観世界と外部世界の統合が足りない」というものです。
最近出てきた「笹原しゆん」さんにも同じような物足りなさを感じていた。
彼お得意の「ディープステイトの歴史」なんか、わたしはどうでもいい。ロスチャイルドだのロックフェラーだの、もう読み飽きた気分なんだ。
わたしたちがこれからの次元シフトを体験できるとすれば、内観世界の実相をどれだけ各人が把握しているか、に秘密がある気がしてならない。
なので、きょうは枠チン強制管理社会が急速に進む欧米で、内観にもとづいた声を上げた14歳の少女の翻訳画像をご紹介します。
出典URLはすでに流れてしまったので、分かり次第お知らせします。
彼女は、顔出しで、みずからのプライバシーをかけて、発言しました。
その内容が、これからわたしが言いたい「内観世界」や「動機」を端的に象徴していました。なので、ご紹介させていただきます。
わくちゆんというものは「外部世界」のこと で、「ゲイツがー」といつたとたん外部になります 。いま、インターネットの情報はほとんど外部の情報で占められています。
それに対して、 「わたしは枠も怖いし、打って将来がなくなるのも怖いし、プライバシーが知られて両親が解雇されるのも怖い」 というような大前提を、彼女は話しています。
この心の世界を語ることは、「内観」になります。
「外部世界」と「内観世界」。
これらをどう扱ったらいいか?
そこで、これからの次元シフト時代には「内観世界と外部世界の統合が必要」であるとわたしは感じます。
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14歳の彼女が心配することは、この自由を規制し、枠注射を強制し、パスポートを強制し、従わなければ逮捕する、という社会の在り方。これに対し、「怖いからこれを継続させないように声を上げる」ことを彼女は選択したわけです。
しかも単なるエゴではなく、赤ちゃんの人生にとっても、同じ境遇の友達にとっても。
日本もおなじような道を歩むでしょう。
いま、選挙結果で改憲が政治日程として語られるようになってきました。
それに対して「自由と人権がナチズムにやられますから反対 」という書き込みがあるわけです。この段階ですと改憲という現象は「外部世界」のままです 。
そうではなく、「自由と人権はわたしの霊魂が求めています。わたしの祖父は戦時中に言論封鎖で弾圧されたので、その怖さと息苦しさがあるから、わたしは心の声にしたがって改憲には反対します」 となると、「内観世界」になります。
現象に対して、深くかかわり体験しつくすには、内観世界と外部世界の統合が必要です。
もっと考えると、内観世界へのアクセスは「感情」がカギになります。喜怒哀楽の「感情」は、非論理的なもので、外部世界を描写したり認識したりする際は邪魔になりますので、なるべく封印して語ります。
しかし、「感情」の由来と外部描写を、私的な因果関係を含めて分析理解することが統合には必要です。
内観して「感情」にまで分け入ることは、完全にプライベートな領域であり、だれかに開示する必要性はさらさらありません。しかし、こと今回の霊性のシフトをかんがえると、内観世界をテコにして外部世界を読み解く、あるいは内観をメスにして外部患部を切り開く、というような相互作用が不可欠です。
わたしは何を望んでいるんだろう。
わたしは何を恐れているんだろう。
わたしはどうしたいんだろう。
そんな内観と外部の整合が必要です。
いま、混乱する社会の中で立ち位置と方向を見失わないように、アセンションの名著である「黎明」を読み返したり「ひふみ神示」を読み返したりしたいとおもったが・・・。
むしろ、今現在進行形で行われる外部世界の様子を、内観のメスで再点検する、再評価する、感情との整合性をなんでかなと振り返る、そういうことをしようと思いつきました。
ちなみに、内観について盛んに重要性を説いていたのがツイッターのなかでただ1名「アム」さんだけでした。「アム」さんがいちばんおもしろかった。一番印象的で、頼りがいがあった。 いま、「アム」さんは消えてしまい(ご逝去か?)、内観のことを語る人間はいなくなった。それがさびしい。
さて、いま日本では枠ちゅんを人口の7割以上が打って多数派を占めた。自維公等が多数派2/3を占め改憲OKになった。お金や権威がみな大好きで多数派を占めている。われわれはいま、残り3割以下の少数民族として、絶滅危惧種である。
だからこそ、いま、少数民族は少数民族なりに、絶滅危惧種は絶滅危惧種なりに、仲間たちに届くように、仲間たちを勇気づけられるように、次元の階段をちゃんと上がっていけるように、言論をみがいていきたい。
その際に、外部事象につき「あかん」と言うだけでは弱い。残念だ。
外部事象は「あかん」という言論そのものが、完全に外部世界のもので「内観世界」とは切り離されてしまっているのだ。そこが残念なんだ。
むしろ弾圧、圧制社会は「不安、恐怖、悲しみ、怒り、苦しさ」などを内観しているわけで、みんなそこを通っているわけだ。それを個人個人の言葉で語り、外部と統合するのだ。それを個人個人の言葉で語ることが勇気と希望を与えることになるんだ。
ところで、少し話を変えます。
スピリチュアル言論では「世界は心の反映」といい、「外部は内心が創造し」「心象周波数が似たものを引き寄せる」というが、どうも説明がつかない。 なぜなら、光や愛を愛するわれわれはこんな地獄的社会を望んでいないからだ。
百歩下がって、普遍的に言えることは、『弾圧、圧制社会は「不安、恐怖、悲しみ、怒り、苦しさ」などを惹起する』。
だからわたしたちは『感情分析=外部描写』ができる。その学習のために地獄的社会が展開されている、というものだ。
なんだか、まどろっこしいですね。
ていうか、神様はちょっとイジワル。(笑)
では、もう少し譲歩して、大きな視野でとらえなおしてみましょう。
もうすぐ実現する光世界では『共存、共認、循環社会だから「安心、笑顔、嬉しさ、感謝、愛情」などを惹起する』。であるならば『感情=外部』というのは理解できる。しかも「この光世界は私(たち)の内心が創造したのよ」と自信をもって言える。 『感情分析=外部描写』がここでも普遍的に使える。
では、現在の「分断と衝突と搾取コントロール」があたりまえの外部世界をどう扱うべきか。
私は、「内観を司令塔とした選択行為」をする場が現代社会だとおもう。
★私はDNAを破壊されるのは恐怖だから枠を選ばない。
★私は圧制投獄されるのは恐怖だから改憲を選ばない。
この14歳の少女のように
★私は将来まで弾圧が続いて赤ちゃんを産んでも赤ちゃんが暗黒社会で育てるなんて恐怖だからこの暗黒社会を選ばない。
そういう選択ができることがせめてもの救いだ。
いま、くしくも「動機」と書いたが、「動機」ほど重要なものはない。「動機」と「行動」これがセットで、人間は理解したり反目したりする。
動機が愛で性交したら円満カップル。
動機が性欲、カネ中心で性交したら不純交友。
動機が多欲で性交したら不倫。
性交は同じことだが、動機によって意味がまったく反転する。
反枠、反医、反薬、どれも「動機」がある。
各人各人に歴史あり感情あり「動機」がある。 われわれはいま、残り3割以下の少数民族として、絶滅危惧種ではあるが、そこで「動機」というカギを使って地球新次元のスイッチをONにしていく。 われわれの役目だ。
そして、光世界とは真逆の地獄世界をいま、体験していく。 われわれの「真の動機」は、「安心、笑顔、嬉しさ、感謝、愛情」などに基づくことを忘れることなく、これと真逆な「いま」を体験していく。
このなかから光を選択していく。
「内観を司令塔とした選択行為」をおこなっていく。
そして、地獄のように見える外部を、暗黒で唾棄すべきものにみえる外部を、われわれにとっての最善の教訓として学んでいく。
友よ。
行こう。