わたしも栗さんにはもう一度会っておきたいなって思ってた。だから万象栗合わせ^^行きます。
栗さんライブへの招待ありがとう。行けてとてもよかったです。居並ぶ人はみな違いがありながらどこか懐かしく何故か仲間な感じがして居心地がよかったです。釜に魅力を感じました。栗さんのお陰で新しいなにか見つけた気がしました。ありがとう
そうそうあの場で絵本「カボチャありがとう」を読もうと衝動に駆られたこと偶然なのか、もう一人参加者のきり丸さんが持参してくれて読んだ一冊が「ぼんさいじいさま」だったことには驚きました。
二冊の作者がおなじ木葉井悦子だったこと、コレはもう必然だったね。泣いた栗さんは心とっても柔らかかったのね。会えてよかったです。ありがとうございました
風さん ご参加どうもありがとうございました。持参してくれて朗読してくださった「カボチャありがとう」は当日初めて知りました。こんなすばらしい童話作家がいたんですね。
生命の息吹と愛と感謝「死」と「再生」の循環。 この「カボチャありがとう」のストーリーは単純ですが深いですね。与え与えられる命。食べる、食べられる命。一見残酷でむなしいように見えて、じつは食べられることで幸せを感じ取るカボチャの喜び。虫たちにも絵に生命力があふれてます!
それにしても風さんの朗読は秀逸でした!風さんの声質、読む速度、抑揚は、絵の世界観とマッチしており、ついつい魅入られました。 木葉井 悦子さんの画風は・・・ダイナミックな生命の躍動感、繊細な書き込みと大胆なデフォルメもすごいけれど、風さんの描く庭や生き物の登場する絵画の世界観と重なり合い、まるで、 木葉井ワールド=風ワールドというふうに思えるほど、生命観・循環・食と肉体などが重奏的に響きあっていました。
昨日、11月28日はライブ会場に向かう近鉄線の電車の中で「終活」というイメージがとてもわいてきて、それで、話の内容も「終活」に関するもの----この世からあの世に持っていけるものってなにか----という方向で話そうと思い立ちました。
それまでの企画案では、毎度おなじみ次元移行の兆候報告や、次元上昇後の世界再構築の際に、「イメージや言霊のちからが重要になる」という、当たり障りの無いものになりそうでした。
しかし、収束する焦点としてはかなり散漫で、切れ味が悪い感じがしていました。
そこで、風さんが来てくれるというイメージから、生活の無駄の整理―――「終活」というイメージ―――を連想していたところです。 そのなかで、 木葉井 悦子さんのカボチャは、描写された生命の躍動を通して生命循環を、さらには万生物の共存共生まで感じさせ、圧巻でした。 他の生き物への貢献という姿を通して、「生」を凝縮的に語っているのでしょう。
それは、意外にも同じ木葉井 悦子さんの童話作品「ぼんさいじいさま」をきり丸さんが持参してくれたことで、さらにびっくりでした。きり丸さんも朗読してくれて、お迎えがきたときに、自分が他に施してきた盆栽や花、虫が見送ってくれ穏やかに旅立つぼんさいじいさん---シンプルなストーリーですが、ぼんさいじいさんの人柄にふれ、温かい気持ちになりました。
日々を丁寧に大切に過ごしてきたからこそ、最後の日をも、慌てず騒がず、受け入れることができたようすです。季節は満開の春のようです。 さて、「願わくば花の下にて春死なん。その如月の望月の頃」とは、西行の詠んだ和歌ですが、数日前に、この句を毎日新聞で見つけ、これを当日紹介しようかなと思っていたことでした。
そういうなかで、生と死のイメージが、交錯するわけです。 偶然とは言いがたい風さんきり丸さんの再会、さらに「カボチャ」「ぼんさいじいさま」木葉井 悦子さんつながりの出会い、さらにそこに流れるテーマ----この世からあの世に持っていけるもの----。 そういうことがまるで見えざる手に導かれるように一堂に会し・・・。胸を打たれました。
あーうれしいな。突き動かされたようにあの絵本を持っていきましたが。。よかった
明日来るか分らないその時のための終活は気持ちの準備だけでその日その日豊かに生きてゆくには道具もいろいろ必要です。如何に死ぬかは如何に生きるかに尽きるのでは?と思う昨今です。言葉を使うのが下手なのでうまく言い表せませんが、くりえいとさんの感受性が素晴しくてわたしは感動しています。またお目にかかれるといいですね。風
アセ実のオフ会は、何年振りだろう。
東京では何度もやった。
10年も前の話だが。
もう、オフ会の気分でもないだろう。
俺も年を取り、みんな散り散りばらばらになった。
しかし、縁のある、縁の濃い、ほんとうにつながっている仲間とは、こうしてまた巡り合える。
当日は、何名もの仲間が来てくれた。
そして、人生の境遇も環境も異なる人に、なにかお土産になる「言葉ひとつ」でも、持って帰ってもらいたかった。
何を残せただろう。何を手渡せただろう。
わからない。
ただ、木葉井 悦子さんの描く世界観---生と死---そこから照射される「生命の歓喜」そういうものを俺は少し感じていた。
偶然という名の必然とか。
こういう場を通して、まだまだ見ぬみなさんと出会う事とか。