人間は同時にふたつのものに意識を集中できない。
自我という頭でものを考えているときは、頭のとりこになっている。
煩悩の滅却というものを意識しても、煩悩は離れようとしない。
そこで、神という存在を意識してみよう。
四六時中、神というものがこの胸の中におわすと、意識してみよう。
神の御名を黙唱するのもいい、声に出して唱えるのももっといい。
お経やマントラを何万回と上げることが解脱になるというのは、
この、集中の功徳だろう。
絶える間もなく、神に恋すると、きっと、なにかが目覚めるはずだ。
恋人たちが、四六時中相手のことが気になって、いつも
胸のなかを占めているように、胸を神様で満たすのだ。
頭ではない。
胸を満たすのだ。
神の姿をみたことがないって?
イメージできないものをイメージするなんてできないって?
そのために、花がある。
太陽が昇る。
月が満ち欠けする。
星がまたたく。
生きさせていただいている。
あらゆるものが、神の顕現だ。
この世は絶望の闇につつまれているが、
神の顕現は絶えることがない。