シェアハウス訪問・・・「受け皿」をみてきました。

まもなく来る、カオスの時代。

私たちは、どんな暮らし方をすれば、

その荒波を乗り越えていくことができるのだろう?

 

誰も答えを持っていない。

みな手さぐりで、歩んでいる。

 

なにか、ヒントになるものを求めて、

私はG県M市にやってきた。

市街より10km、上流に向かう。

山肌が急峻に迫ってくる。

川沿いに狭い平野部がある。

そこに集落がある。

2階建て古民家。

リーダーのAさん。

一人っ子あり、Syちゃん。

アシスタントとして同居する親友のHiさん。

 

AさんHiさんの両輪にて、保養母子を受け入れる古民家シェアハウスを個人ボランティアとして運営している。

 

2014.07.19~20


シェアハウスは玄関から望むと、大部屋が見通しで広い。

愛犬Sayが愛想よく走ってきて出迎えてくれる。

Saはシェアハウスのマスコットのようだ。

室内でいつも放し飼いのため、利用者は犬ギライでないことが保養利用の条件である。


シェアハウスは311後Aさんがひばく回避の目的で自費開設した。

 

Aさん自身がノドに典型的なひばく症状を有しており、お子さんの将来と自分の健康のため移住してきた。

 

移住にあたっては、移住先の選定をするとき地図をみての直感(文字が浮かんで見える)と入念な周辺背景調査により、最適な場所としてG県M市を選択した。

 

また、Aさんは人並みはずれて直感(霊感)が豊かなようで、内なる声に従ったようだ。

 

ただし、ご主人は事業の責任から首都圏在住を選択している。

 

移住に際しては、候補地も多数あったが、ホだけでなく、空気や水源汚染の原因としてガレキ焼却や廃棄物焼却のリスクを想定し、移住先にごみ焼却場がないまたは今後増設されない理由として山岳渓谷部であることを念頭に置いたそうだ。

■保養スタイル

保養希望者の要望を考慮して数日~数週間の受け入れを行っている。

10歳以下の子供がいる母子に限っている。

また、犬ペット同伴を許可する。

 

費用は格安で設定している。非営利個人ボランティアの形態である。

 

すでに事故後年以上を経過し、利用者はリピーターが多くなっている。2度3度来ると汚染地との環境差が痛感できるようだ。

 

したがって、汚染地ではいたたまれなくなり、かつAさんHiさんの人柄などに好感をもって、期間限定の保養からまるごと移住を希望する方が増えているようだ。

 

後述するが、移住の住居あっせんについては、そう簡単に条件にマッチする物件が見つかるわけではない。

 

そのため、移住希望はあるが長いこと物件待ちという方もおられるようだ。


■就職

M市まで10Kと通勤可能距離であり、M市では都市化が進んでいるため、なんらかの就職やアルバイトが可能なようだ。

ただし交通手段として自動車バイクの利用が必須である。

 

 

■託児・教育

幼稚園は集落の近隣にあるようだ。

小学校は少子化で統合されスクールバスが運行している。

中学校高校は過疎地に共通していえるが、選択肢が豊富にあるわけではない。将来的には下宿などとなると、都市近郊居住が必要になるだろう。(しかし、私見だが、この既存の世が10年先も持続するとはおもえない)。

 

 

■生活形態

保養者はシェアハウスの1階2部屋を利用して宿泊する。

AyさんHiさんは2階で居住している。

キッチンや浴室は共同利用である。

キッチンや浴室やトイレは新しく清潔であるとともにゆったり設計である。

 

買い物や病院や日常の利便性は、市街地にてまかなえる。


■移住物件

保養は1時しのぎであるため定住に向けて住居斡旋の努力を Ayさんがされている。

 

今回、偶然にも、シェアハウスより5分川奥の集落にある程度新しい古民家(滝ふもとの家)と6分支流奥の渓谷集落にある古民家(渓谷の家)を現状視察させてもらうことができた。

 

この物件は一家でM市移住を決めているOndさん(ご夫婦+お子さん)の住居あっせんの一環であった。

 

Ondさんは東京大田区でひばくし、その後長野県諏訪湖に移住。長野県にてAnちゃんを授かる。

 

長野県も汚染が進んでいることから母子をシェアハウスに保養に送り出したのがOndさんご主人であり、それが縁となって移住に踏み切ろうという様子。

Ondさんご主人は危機意識がたかい。

職業は産廃業や電機組み立て派遣など工務系を数種経験。

 

とかく男性というものは経済体制に組み込まれてしまい柔軟な発想と行動ができないものである。しかし、Ondさんはしなやかなフリーハンド部分を持っておられ、そこから疎開や移住に前向きな様子がうかがわれる。

 

Ondさんの奥さんは東京出身。都市生活の価値観に毒されることなく、純粋さがにじみ出ており、Anちゃんにかける言葉もやさしく柔らかい。

 

ほっぺたがマシュマロのようなAnちゃんを目に入れても痛くない様子である。(御夫婦ともに)。

 

Ondさんの気性は怒りを秘めており、政府の矛盾や今回の事故に対する対応に、腹の筋肉が痙攣するほど怒りを感じるそうだが、それをストレートに表現せず、一家移住にエネルギーを集中しているとのこと。

 

移住後は3日バイトで働きあとは自給自足をしたいという。

 

これに関し私は今後戦争や恐慌によりカオスの時代が来ると感じているが、Ondさんもその意見に賛成のようで、居住先候補地も市街地から離れた静かな場所を希望しているようだ。

 

母子移住で子供が小さいうちはママの1馬力となり、就労子育てだけで精いっぱいだろう。過疎地では保育所などの都市機能は望めない。とても、農作まで手が回らないだろう。

その点、ご主人の理解・先導における1家移住はとても頼もしい。

今後、当地域での移住者コミュニティの中核となって頂きたいとねがう。


後日、入居がきまって、改装にとりくみました。

■住居斡旋

住居を斡旋するために Ayさんは地域のキーマンに声をかけている。

 

しかし、なかなか物件が出てこず、移住の家が無い状態らしい。

M市には不動産専門業者というものはない。やはりクチコミがすべてのようである。

 

Ayさんは先行してシェアハウスに定住していることから、地域社会の信頼を得ている。

これはAyさんの人柄によるものだが、快活陽気で裏表が無く、対人折衝が上手である。

飲食業の経営を通して対人折衝能力を磨き、また同時に在留外国人の就労にボランティアで援助するなど社会活動をしてきたそうだ。

 

Ayさんは埼玉県で1000坪の自宅(薔薇園・薬草園・農園含む)を所有していたが、そこにはご主人をのこして、移住してきた。

おばあさんの実家が福島にあり、今回の事故は本当に他人事ではない。

こうした背景があるため、移住のお手伝いも自分だけが完了すればよしというものでなく、一人でも多くの危機感あるひとの手助けをしたいようだ。

であるから、移住先のM市でも地域社会に溶け込み綿密な挨拶やコミュニケーションを図り、地域からも親和的に受け入れられているようだ。

 

Ayさんは議員、役所、お寺、T理教などに、自腹で手土産のうどんを携えて住宅あっせん依頼の声をかけてまわっている。

Ondさんが滞在時に偶然2か所の物件を下見できたのは強運といえよう。

■自給自足

移住者の意識や考え方はさまざまだが、関心が共通する項目に自給自足がある。

 

今後、カオス時代のシェルター機能として食糧自給が重要になると思う。

 

Ayさんは他人様の世話が忙しそうだが、Ayさんも埼玉時代に農園を手掛けていたようだから今後、農作もしたいようだ。

 


■指向性の交差点

さて、下見させていただいた不動産物件であるが、ここに、興味深い現象が立ち現れている。

物件は、家主がより利便性の高い都市部へ引っ越したため空き家となったのである。

 

移住者は東京に生まれ育ち、東京の利便性を享受した上で、あえて事故後の対応を考えて、より自然に近い所を求めている。

 

ここに、手放すものと求めるものの指向性が交差することになる。

ここに、空き家の発生と、移住実現というチャンスが生まれる。

 

農村の老齢化も進んでいる。

ご主人を含む一家で移住する意思を示すと、おおむね高齢者は喜んで迎えてくれるそうだ。


■滝の家

先ほど「家がない」と聞いた。

都市部からの移住者にとって山岳深く分け入る場所での暮らしは不可能であり、そういう意味で条件に合う家がない、という意味だろう。

 

いま、Ayさんは渓谷を深く登った滝のある場所に、廃屋同然の「滝の家」をみつけた。

 

ここまで山中深く分け入ると移住者にも居住希望がないだろう。そこで、ここを改装し、夏季には Ayさん家族はここに住む計画らしい。

 

今回私は修繕のペンキ塗りをお手伝いさせていただいた。

来季には、Ayさん達家族が「滝の家」で居住することでシェアハウス2階が空き、受け入れ人数が増やせるので、なるべく多くの保養者に開放したいようだ。

滝の家の改装です。



■地域行事の下見

カオスが進む前に、こうして移住拠点を確保して、移住先での人間関係に溶け込んでおくことは非常に重要だと思う。

 

当夜はたまたま地域神社最大の行事提灯祭りを行っていた。

 

地域住民が集まって会話に花を咲かせていた。

こういう場に前もって参加することが重要である。



■世界観の共有

小難しい小見出しをつけてみたが、コミュニティ形成の要は「気が合うか、合わないか」である。

 

私たちは、SNSを通してじつは波動選別を行なっており、「類は友を呼ぶ法則」で集合している。

地球の振動数の上昇にともない、「類友法則」が善くも悪くも顕著になっている。

だから、親和性のない者とは意見を割るわけで、もう二度と同じ土俵に戻ることはないだろう。

逆に、今まで無縁だった者同士が、見えざる糸に導かれて仲間になるということも急激に進む。

 

M市においても同様で、移住に伴い、単に家財を引っ越すだけでなく、とても多くの「世界観」をもって引っ越してくることになる。

既存社会の価値観で不要なものは、断捨離してくる。

ここに来れば、必然的に自然崇拝や自然環境や自給農業などと日々、向き合うことになる。

また、競争社会では否定されてきた「利他精神」というものを共有するようになる。

 

それは教条的に上意下達されるものでなく、
作業や行為で自然理解されるものである。

■自然のバイブレーション

滝の家でペンキを塗り終えたとき、にわか雨が通りすぎて、木立から霧が上がった。

Ayさんは「オーロラのような神様が上がった!」と無邪気に大喜びだった。

 

またSaさんは葉っぱ1枚に神が宿るという世界観を311前からAyさんと共有している親友同士らしいが、葉っぱ1枚をみて、神性を感じることができるというのは、いわば、「忍者の合い言葉」みたいなものだろう。


神という概念を教条的に冊子から学ぶのではなく、自然物や行為から共有することができるという意味において。

 

そういう感受性が、みんなのまんなかにあること。それが、これからの地球共生時代に、ともにサバイバルしていくコツなのだろう。


美しくダイナミックな渓谷です。

■願望実現

神さまといえば、Ayさんは「したい行きたい」と口に出して言ったら、それがすぐ叶うらしい。
しかも滝の家のすぐ上にある、お滝の御神体の岩に、はだしでのぼり、お滝に願いをかけると、雨の日でも日光が差し込み、願いがかなうという。

今回も、じっさい渓谷の話をしたら、その直後に仲介あっせん者から電話があり、渓谷の家の下見が叶った。
しかも渓谷まで案内してくれた。

Ayさんはまた怒りの想念の現実化もすごくて、無意識に怒ると家電製品の破壊故障やマグカップの破断、極めつけは怒りを引き起こした相手が3軒火災に遭ったなどその超自然能力も半端ではない。

自我ではなく、利他で願望を祈願する。

あるいは、私憤ではなく公憤で矛盾に怒る。そうした内面の働きが、実在界をとおして現象界に反映する。

 

Ayさんはその回路をもっているようだ。

 

 

■国際化

国際化の時代、AyさんはSyちゃんを海外に留学させる計画のようだ。

これに伴い自分も海外へ移住するかもしれないという。

こうしたとき、現在活動中のシェアハウスや活動予定中の学校がどのような形で運営されていくかは未知数だ。

 

コミュニティとして機能していくためには、 Ayさんに依存するだけでなく移住者ひとりひとりが主人公となり、自給自足をはじめ勉強会などができる距離集落にて分散居住することによって、ともにサバイバルしていく気構えも必要となるだろう。

 

 

■出家

M市においてはAyさんの御尽力とカリスマ性により、急速に移住共同コミュニティの受け皿作りが進んでいる。

 

だが、とかく、移住者とはスタンドアローンな環境に置かれがちなものである。

 

そのため、移住先でも地元住民との間で会話が噛み合わず(意識や関心が異なる)、孤独感をつのらせている場合もあろう。

 

その点、Ayさんのバイブレーションを共有軸にして、移住者や仲間が集ってくるM市の状況は、全国で観ても希有な例であろう。

暮らしとは家庭科みたいなもので、女性の果たす役割が大きい。
移住コミュニティも「ひみこ的」な存在があることで、求心力が増す。
肝っ玉母さん的な存在がいるか、いないかで、移住コミュニティに柱ができるできないが決まっていく。

一方で、女性性ばかりでは、農村社会における信用力においてなめられることもあるだろう。

男性存在があることで信用力が測られるのは昔も今も否めない。
もちろん、大工仕事や開墾や力仕事は男性の面目躍如である。

全国には各地で移住者ネットワークを形成しているところもある。

たとえば奈良には茶話会として情報交換や共同イベントをやっている人がいるようだが、そういうゆるやかなつながりとして存在する方法もあるだろう。

 

ただ、Ayさんは移住を冗談で「出家」と称しており、もう少し踏み込んだ決意と交流内容を考えているようでもある。

眼をみてなんでもわだかまりなく話せる、透明なココロ持参で。


*筆者の感想

Ayさんは「私はわがままだから意味もなくオシャベリ会みたいにするのはどうも乗り気でない」そうだ。

と、同時に、深い渓谷や滝の家から里に降りていくと「あ~下界はイヤだ~」と言う。

 

この時期、いちばんデリケートなひとたちを受け入れて、いちばん面倒なことをしているわけだから、それは正直なことばなんだろうとおもう。

 

逆に言えば、保養受け入れだとか住居の世話だとか、そんな面倒な貧乏籤をひくひとは、ほかには見当たりそうもない。

だって、事業でもない経営でもない命じられたものでもないわけですから。

ふつうは自分のことだけで精一杯で、それだけでもあふれて溺れそうになるのです。

とてもとても人様のことなんぞ・・・。

 

なのに、どうしてこのようなお世話が継続できるのか?

と、ふと考えたとき、私はシェアハウスの「シェア」というはたらきに本質が隠れているとおもったことでした。

 

 

 

いま、ひとびとは追い詰められて、健康にも黄色信号が灯って、どんどん余裕をなくしており、わらにもすがりたい想いがあるはずです。

そのはたらきの大元は、「奪うとか取る、ゲットする」というたぐいのもので、私たちがいままであたりまえのようにやってきたことです。

 

ところが、「シェアする」というはたらきは、それとは真逆のものです。

ふつうは、「自分可愛い&自分の子可愛いで、ゲットしようゲットしよう」と思っていますので、「シェアしよう」というふうには中々切り替わらないものです。

 

人間関係でも、スタートは同じ目的で協力し合えるように思っていたものが、途中から、それぞれの「ゲットしようゲットしよう」というキモチがでてきて、それがぶつかりあって、うまくいかなくなるというケースがあります。

 

人間って・・・ヤだな・・・というとき、そうおもえる相手にはかならず「ゲットしようゲットしよう」というキモチが渦巻いているのではないか。

言い換えると「わたしがわたしが」というものを持ち寄りますと、どうしてもうまくいきません。

それを隠してよってきましても、バレるときがきます。

 

これから、カオスの時代に入ります。

すると、カオスですから、今まで世間や評価などで抑制していたもの(ココロの中に秘めていたもの)がドバーッと出てくるとおもうんです。

 

そのとき、前もって「シェアする」というはたらきに視点を切り替えて、そっちを選択していれば、

世の中がどう流動化しても、「シェアする」という軸がブレることはありません。

ゆえに、そこで奪い合ったり衝突したりすることもないでしょう。

 

そして、もしかしたら、「シェアする」というはたらきがコトバではなくて、身ぶりを通して誰かにつたわったとき、そのひとのココロのなかになにかひとつ、ろうそくが灯るのではないか?

いままでみんなろうそくをもっていたけど、ともし火がつかなかっただけ。

そして、灯ったろうそくは、こんどは次の「シェアする」というはたらきを生んでいくのではないか? 

 

 

 

これからは、リトリートという場所がひつようだね。

リトリートにはいろんな条件もひつようだ。

自然や、環境や、利便性や・・・いろいろと。

でも、リトリートの真ん中に、お互いが「シェアする」というはたらきがいちばんひつようだ。

それがあるなら、きっとうまくいく・・・。

 

そんな気がしたことでした。

くりえいと

追記

事情により、保養の受入れを終了したとのこと。(2014.09現在)