九州・阿蘇に埼玉県から移住された吉田ケンゴマン氏。
彼は阿蘇にドーム型テントおよび竹で家を自作して住んでいます。
竹は成長力が早く、円筒型で軽量、かつ加工性がよいため、建築素材には優れた特質をもっています。
また、竹を加工して家の構造物として利用するためには、独特のノウハウが必要になります。
吉田ケンゴマン氏は日本でも竹を利用するノウハウを311後4年間に渡って蓄積していることから、このほど祝島に住むまこと氏より招かれて、祝島で竹の家づくりをレクチャーすることになりました。
その様子をレポートします。
2015.01.30
■祝島で竹の家ワークショップをすると聞いたので、行ってみた。
ツイッターで吉田ケンゴマン氏が「祝島に行く」と書いていたので、わしも行ってみた。
「祝島」という島、島民にも関心があった。
なにしろ札束を積まれても、首を縦に振らなかったつわものぞろいだ。
高速道路を降りたら、福井県若狭とおなじような陸の孤島で、文字通り孤島に船で渡った。
陸地のほうは賛成の方々ぞろいでかなり尖ったオーラを感じたが、
島に上陸したら一気に家族的なオーラに変わった。
会場には、どえらい数の参加者がいた。
みな真剣に家づくりに参加していた。
それぞれ建築系のスキルを持っており、協働で作業して活かして行けそうな感じだ。
1日目
①祝島から九州へ緊急漁船を出して、九州のつわものたちを連れてきたようだ。
②さっそく島の浜で海水に漬けてあった竹を切り出した。
③竹の接合は竹釘を制作して、鉄釘をつかわずに行なう。吉田ケンゴマン氏が編み出した「竹くぎ」工法である。
④十文字の接合は、ひもを高いテンションで結び短冊で固定。竹同士を接合する竹短冊工法だ。
■そもそも吉田ケンゴマン氏は、なぜ竹の家をつくるノウハウを持っているのか。
吉田ケンゴマン氏の建築のポリシーは、
自然界に還る素材を使用して家を建てるというもの(だろう)。
もともと建築畑出身ではある(和歌山・熊野に土の家を建築したという)。
建築学校は3年で退学したそうだ。
311後の移住先を埼玉から阿蘇にして、そこでドームテント住まいを始めた。
テントの玄関やタタキを竹の構造物で建築し、竹加工のノウハウを独学したようだ。
■竹の家にはどんな特長があるのだろうか。
竹は成長力が早くて1年で生長する。
だから、材料費が安価もしくは無料。
いま、祝島では、竹林が放棄されて竹害も起きているそうだ。
そういえば、高度成長とともに、建築工芸などに竹が利用されなくなった。
タケノコも中国産のものが安価で輸入されて国内の農家を駆逐して行った。
しかし、今後、大量消費文明の大転換が訪れれば、建築工芸素材は身近なところから調達するしかなくなるだろう。
そういうなかで、竹は優秀な建築素材である。
それにしても、金属や石油製品を利用しないで、現地調達の部材だけで竹の家ができるものだろうか・・・。
2日目
①集落のはずれの、海に面した空き地が立地場所である。割った竹は、屋根材として利用する。目の前には上関原発予定地がある。アクセス道路の拡幅工事が進行中です。
②一回目のこのメンバーは 虹のカヤック隊隊長、隊員、左官職人2名、大工、コンピューターマン2名、エンジン関係エンジニア、アウトドアインストラクター、僧侶など•••
それぞれの参加者の目標とか目的は・・・?(不明です)。
ほぼ九州の面々だった。熊本・大分・福岡と点在しているようだが、みなロハス工法の達人のようで、ケンゴマン氏が理想とするオフグリッドでオフバビロンな家づくりには欠かせない面々のようだ。
③工法を伝えておけばあとは現地祝島で応用してつくれる。
一箇所でつくり終えたら工期・人工数などが把握できるため他の地域での建築時にも目途を立てやすくなる。
■そもそも、きっかけは何だろうか。
"祝島に竹で保育園を作りたい"と、祝島在住のマコトさんが言い出したようだ。
マコトさんは祝島に妻と移住し、漁師などをしているようだ。
その奥さんがお目出度で、島のひと達はたいそう誕生を心待ちにしているようだ。
もうすぐ赤ちゃんが産まれる。
そして、春からは母子で幼い子を連れて移住して来るママもいる。
保育園がない。だから、つくってしまおう。
そこで、旧知の仲であるケンゴマンが阿蘇で何やら竹の家をつくっているという腕前を買って、きてもらったのだという。
もちろん、正式な保育園には許認可や予算や人員が必要だから、公的に行政が設置する保育園ではないだろう。
正確にいえば、「保育園のような集い場」。
それは、作業場でもあり、漁業をしながら、島のおかあさんたちが誰彼となく集まってきては、目を行き届かせるような・・・。
そういう場なのではないかと、わしは推測した。
①屋根は断面∪∪∪∪∪∪に上から断面∩∩∩∩∩∩を重ねることで雨仕舞いを実現する。
②柱と梁の接合は、竹短冊工法と竹釘工法である。
③柱は杉を裸にして杭打ちし、ひもで緊迫する。
④骨格構造ができあがった。
⑤交差部分。竹材の力学に基づいている。
⑥屋根の渡し材をとりつけていく。
⑦屋根がかなり取り付けられた。
⑧夜は「ひょうたん市場構想」などを共有する勉強会となったようだ。
■家というのは器であり、中にどんなソフトでも入れられる。
さて、竹で家の構造作りばかり注目しているが、ほんとうは、家というのはツールにすぎないとわしはおもう。
器だから、中にはどんな用途でも収納できるし、人を集めたりする機能もはたせるとおもう。
そこで、吉田ケンゴマン氏が提唱する竹の集い場の核に、「ひょうたん市場構想」というものがある。
詳しくはこの動画をみていただくとわかるが、彼はいまのバビロンシステム崩壊後の新世界として、『市場の機能』が集落の核になるとみているようだ。
来る大崩壊については、わしは大建て替えと呼んでいる。
それは破壊と再生をセットにした言い方だ。
そして、ケンゴマン氏も破壊後の再生の核に、「ひょうたん市場」を見据えている。
世界恐慌くらいなら、まだ、建物や社会インフラが残っているから、かわいいものだ。
おそらく大建て替えにおいてはそんなヤワなものではない。
大地震、大噴火、洪水、戦争(侵略者による国土戦)、内乱暴動、パンデミックなど、数々の終末的なできごとが集中的に折り重なって来るだろう。
それは、人類や日本人のカルマを浄化するためにも(また気づきを得るためにも)必要な道だとされる。
宮崎県の日向に、ひょうたん市場の予定地が決まり、五反の土地の伐採が終わり造成に入るそうです。
「"ひょうたん市場計画"には今、竹を使ったいろんな情報が集まってきています。 バラ色プランは更に盛り上がって来ています。 誰でも参加できる」(ケンゴマン)。
では、崩壊後の再生に必要なものとはなんだろう。
まずは、健康な心身をもつ人員の確保。
そして、衣食住の確保。
なかでも、今回は「住」に絞っていえば、建築材料の入手、工具、スキルをそなえた人員が必要不可欠だ。
そして、幸いにしてバビロニアン都市の崩壊を避けて、生き残った者たちは、それぞれにもっているモノを持ち寄って、どこかに集うことになるのだろう。
その集いの場所が「ひょうたん市場」なのではあるまいか。
そのために、有志があらかじめ「ひょうたん市場」をつくっておく。
それが、ケンゴマンのビジョンのようにおもえる。(推測)
「ひょうたん市場」では、ブツブツの交換だけでなく、そこにサバイブしているひとたちの共助の場としても機能するのだろう。だから、子育てや動物の放牧なども、この「ひょうたん市場」を核として営まれるのだろう。
今回、ケンゴマン氏のワークショップは、おそらく、大げさではなく、このようなグランドデザインをみつめたうえで、具体的な一歩として着手したのではないだろうか(と推測する)。