ぼくらは宣言しよう。

 

この国家社会という殻の内にぼくらは、いまひとつの、

 

国家とはまったく異なった相を支えとした社会を形作りつつある、と。

 

統治するあるいは統治される如何なる個人も機関もない、

 

いや「統治」という言葉すら何の用もなさない社会、

 

土から生まれ土の上に何を建てるわけでもなく、

 

ただ 土と共に在り、土に帰ってゆく社会、

 

魂の呼吸そのものである愛と自由と知恵による

 

ひとりひとりの結びつきが支えている社会 ― ぼくらは部族社会と呼ぶ。

 

 

 

アメリカ、ヨーロッパ、日本、その他の国々の若い世代によって、

 

何百万人という若い世代の参加によって静かにあくまでも静かに、

 

しかし確実に多くの部族社会が形作られつつある。

 

都会にあるいは山の中に、農村に海辺に島に。

 

やがて、少なくともここ数十年のうちに、

 

全世界にわたる部族 連合も結成され、

 

ぼくらは国家の消え去るべき宿命を見守るだろう。

 

 

 

ぼくらはいまひとつの道、人類が死に至るべき道ではなく、

 

生き残るべき道を作りつつあるのだ。

 

ひとりひとりの人間においては、

 

彼がその肉体の死とともに消え去ってしまう道ではなく、

 

永遠の不滅の自己にたどり着くべき道を。

 

 

 

ぼくらは勧告しよう。世界中のあらゆる人々に、

 

部族の結成および部族への参加を。

 

具体的には、それは個人ごと家族ごとに分離している生活の営みの放棄、

 

国家社会における家族および労働や教育の場からの国家的な思惟からの離脱を前提とし、

 

またそれは、金、土地、家屋、作業道具、教育、医療、研究、図書、交通機関、

 

生産、販売、買入機構そして一切の労働と消費に対する私有の放棄を意味する。

 

それらをぼくらはすべて部族に預けよう。

 

彼はぼくらみんなの ハートと知恵を溶け合わせた偉大な人格であり、

 

と同時に僕らの仲間だ。

 

ぼくらと彼との間には「愛する者と愛される者」の関係があるのみなのだから。

 

 

 

 

ぼくらがもっともっと広い視野、

 

宇宙的なとも言うべき視野と自我の奥底からの知恵の輝きをもって見るなら、

 

全宇宙が至高の自我 ― 神の戯れでありその場であるように、

 

僕らの外部への動きはひとりひとりの生命全体をもって遂行してゆくゲームであり、

 

社会はそのための場だ。

 

ここではぼくらは遊びの内にあり、

 

ぼくらが遊びの主人なのだ。

 

そしてぼくらひとりひとりが、各自の内面の深みに、

 

如何なる論理や倫理をも踏み越えて突き進んでいくところに果たすべき務めがある。

 

それは解脱、あるいは自覚、あるいは実現と呼ばれている。

 

それはまたこう告げられている。

 

「この務めは各自己の限りないほどの

 

人間あるいは他の生命への生まれ変わりによって果たし終えられる。

 

これは彼 ― 至高の自我 ― 神の戯れなのだ」と。

 

 

 

この務めを果たすため、敢然とたったひとりで人里離れた所に、

 

食も如何なる肉体的安楽も断ち、ただ坐りつづけ、

 

内面の深みに降りつづける道もあるが、今ぼくらは、

 

生活というゲームをなしながらこの務めを果たす道を、

 

そして部族社会というこのゲームの場を選んだのだ。

 

 

 

 

ただルールがそれぞれを支えている力が相違するにすぎないのなら、

 

いずれゲームの場にすぎないのなら、何故国家社会ではなく部族社会を選ぶのか?

 

 

ぼくらはあくまでもひとりひとりの自覚、

 

あるいは解脱、あるいは実現を主に置くからだ。

 

全宇宙は神の現れ、あるいは戯れであり、ぼくらひとりひとりが

 

神だという真理の上にぼくらはこのゲームを、部族社会を形作ってゆく。

 

ここでは生活というゲームをなしていくのにひとりできりきり舞いし、

 

結局はルール によって支配され、

 

ゲームを務めと取り違え、

 

まったく真の務めを見失ってしまう事態はほとんどあり得なくなるからだ。

 

ここではお互いの愛と自由と知恵の内 に、

 

内面における時間の流れのほとんど決定的な連続が各自の内に保たれ、

 

ぼくらはまっしぐらに各自の内面深く降りてゆこう。

 

ゲームの内にただ空回りしてゆくだけの愚かな状態は、

 

ぼくらの誰からも消え去ってしまうだろう。

 

人類は生き残るべき道を、

 

ひとりひとりの自己は無限の自己への道を見いだすだろう。

 

 

部族社会は、まさに夜明けの太陽のごとく、

 

全地上にあまねく光を投げかける。

 

国家社会の下に息絶え絶えに生活している他の人類に対し、

 

幾度も幾度も ぼくらの内面の呼吸を、大地の呼吸、魂の呼吸を取り戻させるべく。

 

「大地に帰れ!」と、そして「自らの内に大地の呼吸を取り戻せ!」と。

 

 

 

 

『部族』第一号(1967年12月発行) より

人の上に人を作る社会構造。それって、どうよ?

みながピラミッドに群がるけどさ、一抜けちゃいなよ。

「部族」、その在り方が、心臓の柔らかいとこに呼びかけてくる。